本当のやさしさ。

やさしい人って世の中にたくさんいると思います。
自分の事をやさしい人だと思っている人もたくさんいると思います。
そしてわしもやさしくありたいと思っています。

ふと思いました。
「やさしさ」って何なのだろう。



正法眼蔵随問記」の一説(の意訳)

ある庵に高名な老師が住んでいました。
ある日この庵に野生の鹿が入り込み庭の草を食べていました。
それを見つけた老師は弟子に命じ、
鹿をムチでたたいて鹿を追い払ってしまいます。

それを見ていた人が老師に問いかけました。
「老師には慈悲がないのですか。
なぜ庭の草を惜しんで畜生を苦しめるのでしょうか」
老師は答えます。
「私が今この鹿をたたいていなければ、この鹿は人を怖がらなくなります。
いつかは無慈悲な人にも近づいてしい、殺されてしまうでしょう。
だから今打つのです。」






鹿をたたくのは一見無慈悲に見えますが、
心の内の道理では慈悲に溢れています。





「辛いならいっそ辞めちゃえば」
悩んだ相手には甘く聞こえる言葉です。
誰かに言ってもらいたかった言葉です。
「これは逃げではない。そう言われたから辞めるんだ」
自分に言い訳ができます。
悩んでいる人にはあま〜いささやき。



これは安易に出してはいけない答えだと思うのです。
物事をはじめるには大なり小なり「決意」があるはずです。
「決意」と言うと大袈裟ですか。「やる気」くらいの意味です。


どんなに小さいことでも
「決めたからには最後まで頑張ろう」
「お願いしたのだから相手を信じよう」
自分自身の「決意」を尊重すべきと思うんです。

直面している「今」は辛くとも
乗り越えた「明日」を迎えるために


「今踏ん張れ」
「今信じろ」


一見厳しくとも、本当に相手のことを思うのならば、
時には厳しいことも言わねばならない時もあるでしょう。


本当のやさしさとは何なのでしょうか。
本当にやさしい人はどう答えるのでしょうか。




心を鬼にして鹿を打つ。
その心誰よりもやさしく。
老師の慈悲心、感じ入ります。